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光地 Sightseeing spot
 
-カタルーニャ州-


カタルーニャ州

カタルーニャ州概要


項目 内容
州都 バルセロナ
面積 32,114km2
人口(2005年) 7,364千人
公用語 カタルーニャ語、アラン語、カスティーリャ語

県と都市

県都 面積(km²) 自治体数
バルセロナ県 バルセロナ 7,726 1,312
ジローナ県 ジローナ 5,905 1,091
リェイダ県 リェイダ 12,168 1,020
タラゴナ県 タラゴナ 6,308 475



バルセロナ

バルセロナの概要

バルセロナ
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 バルセロナの歴史は紀元前約230年頃のカルタゴ人(チュニジアの都市)の入植から始まる。紀元前4世紀には、ローマ人が入植しカストラ(軍事防衛拠点)とした。415年には西ゴート王国の支配下となり、711年にはイスラーム勢力のウマイヤ朝によって征服された。さらに、801年にはカール大帝治世のフランク王国によってスペイン辺境領となり、10世紀末独立、11世紀にはバルセロナ伯領を中心とするカタルーニャ君主国となった。
 その後12世紀に入るとバルセロナは、アラゴン連合王国を構成する一勢力として勢力を増したが、15世紀にカタルーニャ・アラゴン連合とカスティーリャ王国との間で統一王朝が形成されると、スペインの中心はマドリードへと移行
したことにより衰退していった。
 そして、1640年から1652年の収穫人戦争や1701年から1714年のスペイン継承戦争の間に3度の包囲戦によりバルセロナは荒廃し、フェリペ5世は商業地区の半分を城塞化した。
 19世紀の産業革命によりバルセロナは息を吹き返し、今日ではスペインの第二都市として発展している。

サンタ・エウラリア大聖堂

サンタ・エウラリア大聖堂
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 バルセロナ市民からは単にラ・セウ(La Seu)と呼ばれる、カトリック教会。
 バルセロナ伯ジャウマ2世時代の1298年に建設が始まり、およそ150年後に完成した、ゴシック様式の聖堂である。ファサード(建築物の正面)は1888年のバルセロナ万博にそなえ改装されたネオゴシック様式である。
 地価の納骨堂にはバルセロナの守護聖女エウラリアの遺骨が納められている。


アントニ・ガウディの作品群 世界遺産

サグラダ・ファミリア
サグラダ・ファミリア
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 サグラダ・ファミリアとは「聖家族」の意味。聖母マリアの夫ヨセフ(ヨゼフ、スペイン語ではサン・ホセ)信仰する教会として、民間カトリック団体「サン・ホセ協会」が建設を計画し1882年に着工した。翌年の83年に前任者の辞任によりアントニオ・ガウディが建築家として参画した。ガウディは設計を一から練り直し、晩年にはサグラダ・ファミリアの建設に専念し1926年に不慮の事故で亡くなった。
 ガウディの死後、弟子たちに引き継がれたが、1936年に勃発した内戦のため工事は中断し、また、ガウディの残した設計図も失われた。また、建築費用は市民からの浄財で賄われてい
るため資金難により度々工事が中断した。
 かつては完成まで300年はかかるともいわれていたが、経済成長や入場料収入などに支えられて進捗は加速しており、ガウディ没後100周年目の2026年に完成するとされている。

グエル公園
 エウゼビ・グエイ伯爵がアントニ・ガウディに依頼して設計した分譲住宅地で、1900年から1914年の間に建造・造成された。敷地面積は15ヘクタールで60件の住宅を建てる予定であったが、売れたのはわずか2件。1922年に市がこの敷地を買い取り、公共公園とした。

カサ・ミラ
 実業家のペレ・ミラとその妻ルゼー・セギモンの邸宅として、1905年から1907年にかけて建設された。邸宅は賃貸マンションとして貸し出されており、今でも、ここに住んでいる世帯がある。
 外観は直線部分をまったくもたない建造物になっていて、地中海を見立てたという波打つような形状をしている。

カサ・バトリョ
 1877年に建設された建物で、バルセロナの繊維業を営む実業家のジュゼップ・バッリョ・イ・カザノバスの依頼を受けたガウディが1904年から1906年にかけて改築した。

グエル邸
 エウゼビ・グエイ伯爵がアントニ・ガウディに依頼して設計し、1886年から1890年にかけて建設した住宅。

カサ・ビセンス
 実業家マヌエル=ビセンスの依頼によりアントニ・ガウディに依頼して設計し、1883年から1885年にかけて建造された。

コロニア・グエル教会地下聖堂
 実業家エウセビオ・グエルがの依頼によりアントニ・ガウディに依頼して設計し、1908年着工したが6年後に建設は中断され、半地下の部分のみ完成となった。後に、上部は別の建築家によって建てられた。
 グエルは工業団地(コロニア)と繊維工場を建設する構想で、 ガウディが任されたのは、その中心となる教会であった。

バルセロナのカタルーニャ音楽堂とサン・パウ病院 世界遺産

カタルーニャ音楽堂
 1905年から1908年にかけて建築家リュイス・ドメネク・イ・ムンタネーによって設計され建設された、カタルーニャ地方の芸術様式であるモデルニスモ様式のコンサートホールである。

サン・パウ病院
 1902年から1930年にかけて建築家リュイス・ドメネク・イ・ムンタネーによって設計され建設された、ムデハル様式の病院で、2009年まで診療に治療に使用されていた。


タラゴナ

タラゴナの概要

 タラゴナの歴史は紀元前約200年頃にローマ時代に征服されたことまで遡る。5世紀に西ゴート王国、8世紀始めにウマイヤ朝に征服された。
 1118年にバルセロナ伯ラモン・バランゲー3世に征服されアラゴン王国の一部となった。

ポブレー修道院 世界遺産

 イスラム勢力からのカタルーニャ奪回を記念して、1151年にバルセロナ伯ラモン・ベレンゲー4世からこの地を与えられたフランスのフォンフロワド修道院のシトー会士らによって築かれた。
 ハイメ1世やペドロ4世ら、アラゴン王国の王や王妃たちの墓所のある修道院としても知られている。

タラゴナの遺跡群 世界遺産

 古代ローマ時代の遺跡が数多く残されており、2000年に世界遺産に登録された。
円形劇場
 1世紀に建造。
ラス・ファレーラス水道橋
 市街から4kmにあるローマ時代の水道橋
サント・アントーニの門
ベラーの凱旋門
タラゴナ大聖堂
 12世紀に建設が始まった大聖堂。

リェイダ

バル・デ・ボイのカタルーニャ風ロマネスク様式聖堂群

 バル・デ・ボイはカタルーニャ州リェイダ県にある狭く側面の切り立った渓谷。この渓谷には初期ロマネスク様式の聖堂が多数残されており、そのうちの9つが世界遺産に登録されている。
タウル集落のサント・クリメント聖堂
タウル集落のサンタ・マリア聖堂
バルエラ集落のサント・フェリウ聖堂
ボイ集落のサント・ホアン聖堂
エリル=ラ=バル集落のサンタ・エウラリア聖堂
コル集落の聖母被昇天聖堂
カルデト集落のサンタ・マリア聖堂
ナティビター・デ・ラ・マレ・デ・デウ聖堂
サント・キルクの庵

その他

イベリア半島の地中海沿岸の岩絵

紀元前8000年頃から前3500年頃の洞窟壁画で、カタロニア州、アンダルシア州、ムルシア州、バレンシア州、アラゴン州、カスティーリャ=ラ・マンチャ州の6州727ヶ所に点在し、国際記念物遺跡会議(ICOMOS)において、7地域に区分されている。
北部(The northern zone)
マエストラスゴとエブロ川下流(The Maestrazgo and the Lower Ebro)
クエンカとアルバラシンの山岳地帯(Mountain areas of Cuenca and Albarracin)
フカル川洞窟と近隣山岳地帯(The Jucar river cave and the neighbouring mountain area)
サフォル地方とラ・マリナ地方(The Safor and La Marina regions)
セグラ川盆地と近隣山岳地帯(The Segura river basin and neighbouring mountain areas)
東アンダルシア(Eastern Andalusia)
カタルーニャ州においては、次の通り点在する。
タラゴナ県:39ヶ所
リェイダ県:16ヶ所
バルセロナ県:5ヶ所








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