観光地 Sightseeing spot
-アンダルシア州-
アンダルシア州概要
項目 | 内容 |
---|---|
州都 | セビリア |
面積 | 87,268km2 |
人口(2008年) | 8,202千人 |
公用語 | カスティーリャ語 |
県と都市
県 | 県都 | 面積(km²) | 自治体数 |
---|---|---|---|
アルメリア県 | アルメリーア | 8,775 | 102 |
カディス県 | カディス | 7,436 | 44 |
コルドバ県 | コルドバ | 13,771 | 75 |
グラナダ県 | グラナダ | 12,647 | 168 |
ウエルバ県 | ウエルバ | 10,128 | 79 |
ハエン県 | ハエン | 13,496 | 97 |
マラガ県 | マラガ | 7,308 | 101 |
セビリア県 | セビリア | 14,036 | 105 |
コルドバ
コルドバの概要
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当時のヨーロッパは暗黒の中世といわれ停滞した社会であったが、コルドバはイスラム文化のもと、古代ギリシャやローマの文献がアラビア語で伝えられたことから学芸の中心地となり、ヨーロッパ諸国の留学生も迎え入れて繁栄をした。また、イスラム王朝ながら、信仰の自由が許されさまざまな宗教や民族が共存し、ユダヤ人街が形成された。
しかし、後ウマイヤ朝は王朝内の権力争いと、キリスト教国のイベリア半島の再征服活動であるレコンキスタが跋扈すると衰退し、1031年に滅亡してしまった。そして、1236年にはキリスト教勢力が失地を回復をすると、メスキータはキリスト教の教会に改修され、ユダヤ人は追放されたが、イスラム教、キリスト教、ユダヤ教が交錯した文化が残った。
コルドバ歴史地区
後ウマイヤ朝の文化が残されるコルドバは、1984年に世界遺産に登録され、1994年に拡張登録された。登録の範囲は、メスキータやローマ橋などの建造物とユダヤ人街である。
ユダヤ人街は、メスキータの北側にあり路地が迷路のように入り組む地域。路地の両側には白壁の家が並び、軒先には花の小鉢が飾られている。
見どころは、花の小道(Calleja de las Flores)やユダヤ教会のシナゴガ(Sinagoga)、12世紀の邸宅が再現されたカサ・アンダルシ(Casa Andalusi)。
後ウマイヤ朝の初代カリフ アブド・アッラフマーン1世により建設されたモスク。メスキータ(Mezquita)とはスペイン語でモスクの意味を持つが、固有名詞としてはこのモスクを指す。なお、コルドバの聖マリア大聖堂ともいう。
その後、3度に渡る拡張工事により、2万5千人を収容できるモスクとなったが、レコンキスタ後はカトリック教会に転用され、17世紀初めには 礼拝室の中央にゴシック様式とルネサンス様式の折衷の教会堂建造された。
イザベル女王とフェルナンド2世の治世、コルドバのアルカサルはスペインでの異端審問の場として、また、グラナダに首都を置くナスル朝の攻撃拠点とした。
ユダヤ人街
後ウマイヤ朝において優遇されたユダヤ人の街(La Juderia)。レコンキスタによるキリスト教国の失地回復によりユダヤ人は追放され姿を消した。ユダヤ人街は、メスキータの北側にあり路地が迷路のように入り組む地域。路地の両側には白壁の家が並び、軒先には花の小鉢が飾られている。
見どころは、花の小道(Calleja de las Flores)やユダヤ教会のシナゴガ(Sinagoga)、12世紀の邸宅が再現されたカサ・アンダルシ(Casa Andalusi)。
メスキータ
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その後、3度に渡る拡張工事により、2万5千人を収容できるモスクとなったが、レコンキスタ後はカトリック教会に転用され、17世紀初めには 礼拝室の中央にゴシック様式とルネサンス様式の折衷の教会堂建造された。
アルカサル
アルカサルとはスペイン語で「城」の意味で、コルドバのアルカサルは、1386年にカスティーリャ王のアルフォンソ11世によって建設されたものであるが、元々、東ゴート王国の要塞があった場所で、そのため、イスラム様式も残した様相をしている。イザベル女王とフェルナンド2世の治世、コルドバのアルカサルはスペインでの異端審問の場として、また、グラナダに首都を置くナスル朝の攻撃拠点とした。
アラブ浴場
10世紀、後ウマイヤ朝の第2代カリフのハカム2世治世下で建設されたアラブ風呂の跡。
カラオーラの塔
グアダルキビル川にかかるローマ橋を守る要塞として建てられた塔。
ポトロ広場
ドンキホーテに登場したことで有名になった広場。
グラナダ
グラナダの概要
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グラナダのアルハンブラ、ヘネラリーフェ、アルバイシン
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アルハンブラ宮殿
アルハンブラ宮殿(Palacio de la Alhambra)は、後ウマイヤ朝(756年~1031年)時代のアルカサーバと呼ばれる砦が原形とされるが、時代を経て拡張され現在の姿となったとされる。特に、イベリア半島最後のイスラム王朝であるナスル朝グラナダ王国(1237年~1492年)の時代にもっとも拡張された。レコンキスタ以降は、モスクは教会に改修され礼拝堂や修道院が建築された。ナスル朝宮殿
ナスル朝宮殿(Palacios Nazaries)は、アルハンブラ宮殿の中心的な建物群である。メスアール宮
宮殿の現存する最古の建物。罪人に裁きを与えるメスアールの間やメスアールの中庭などがある。コマレス宮
政治と外交の中心の場所。1348年に建てられた。大使の間、アラヤネスの中庭ライオン宮
スルタンの居住区。パルタル庭園
パルタル庭園(Jardines de Partal)はイスラム時代は貴族の邸宅があった場所。アルカサバ
アルハンブラ宮殿にはナスル朝宮殿などの居住施設以外に、アルカサバとよばれる軍事要塞の施設がある。原型はローマ帝国時代の9世紀に建てられたもので、アルハンブラ宮殿のもっとも古いものである。カルロス5世宮殿
神聖ローマ帝国皇帝カール5世(スペイン王カルロス1世)により16世紀に建てられたルネサンス様式の建物。ヘネラリーフェ
14世紀にムハンマド3世により建設された夏の別荘。アルハンブラ宮殿の北側のチノス坂をはさんだ太陽の丘に位置する。アルバイシン
アルハンブラ宮殿よりダーロ川を挟む北側の丘一帯でのことで、中世ムーア人の統治時代の建築様式を残す。セビリア
セビリアの概要
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セビリアは、フランスの劇作家カロン・ド・ボーマルシェの書いた風刺的な戯曲である「セビリアの理髪師」の舞台の地でもあり、また、ビゼーのオペラ「カルメン」の舞台の地でもある。
古代ローマ時代には属州ヒスパニア・バエティカの主要都市として栄え、イスラム時代にはセビリア王国の首都にもなった。レコンキスタ以降はカスティーリャ王国の主要都市となり、カスティーリャ王国とアラゴン王国の合併によって成立したスペイン王国になってからは、、アメリカとの貿易の独占港となって繁栄を誇った。
セビリアの大聖堂、アルカサル、インディアス古文書館
セビリアの大聖堂、アルカサル、インディアス古文書館は1987年に世界遺産に登録された。
イスラム支配時代にはモスクがあった場所に、レコンキスタ以降、教会が建てられたのがセビリア大聖堂である。そのため、モスクの名残が残っており、ヒラルダの塔はかつてはモスクの尖塔であったとされる。
セビリア大聖堂は幅76m奥行き116m高さ37mの巨大なもので、ヒラルダの塔は97mの高さにもなる。建築様式はゴシック様式を主として、ルネサンス、バロック様式が混在する。
1401年に建設が開始され1519年に完成したとされ、建設にあたって、「後世の人がみて、正気の沙汰ではないと思われる大聖堂を造る」と教会参事会で決定したという。世界でも、サン・ピエトロ大聖堂(ローマバチカン市国)、セント・ポール大聖堂(ロンドン)に次いで、スペインのトレドにある大聖堂と世界3位を競っている。
大聖堂の中には、新大陸を発見したコロンブスの墓があり、見どころとなっている。
スペイン王室の宮殿で、14世紀にペドロ1世の命により建設された。アルカサルとはスペイン語で城塞の意味で、もともと、イスラム時代には城塞があった場所である。
建物はムデハル様式を主として、ゴシック、ルネサンス様式が混在する。
セビリア大聖堂
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セビリア大聖堂は幅76m奥行き116m高さ37mの巨大なもので、ヒラルダの塔は97mの高さにもなる。建築様式はゴシック様式を主として、ルネサンス、バロック様式が混在する。
1401年に建設が開始され1519年に完成したとされ、建設にあたって、「後世の人がみて、正気の沙汰ではないと思われる大聖堂を造る」と教会参事会で決定したという。世界でも、サン・ピエトロ大聖堂(ローマバチカン市国)、セント・ポール大聖堂(ロンドン)に次いで、スペインのトレドにある大聖堂と世界3位を競っている。
大聖堂の中には、新大陸を発見したコロンブスの墓があり、見どころとなっている。
アルカサル
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建物はムデハル様式を主として、ゴシック、ルネサンス様式が混在する。
インディアス古文書館
アメリカ大陸の発見や植民地などの史料が残る古文書館。建物自体も1572年にフェリペ2世の命で、建築家フアン・デ・エレーラにより商品取引所として建てられたである。その他の観光地
救済病院
17世紀半ばに、ドンファンのモデルといわれる貴族ミゲル・デ・マニャーラが病気や飢え苦しむ人々のために作った病院。黄金の塔
グアダルキビール河岸、サン・テルモ橋のたもとにある正十二角形の塔で1220年に建設された。イスラム時代は監視塔として、対岸にあった塔と鎖で結ばれ侵入者を防いでいたといわれる。ペドロ1世の時代(1334~1369)は宝物の保管庫及び、牢獄として使われた。ウベダ
ウベダの概要
ウベダの歴史はローマ帝国時代にまでさかのぼる。イスラム勢力がイベリア半島に進出すると、ウベダはイスラム勢力に支配される。レコンキスタで、1233年にカスティーリャ王フェルナンド3世が占領しキリスト教圏にもどった。16世紀には、建築家アンドレス・デ・バンデルビラによってイタリアのルネサンスを取り入れた街づくりがされた。
ウベダとバエサのルネサンス様式の記念碑的建造物群
エル・サルバドル教会(Iglesia de El Salvador)
サンタ・マリア教会(Iglesia de Santa Maria)
サン・パブロ教会(Iglesia de San Pablo)
考古学博物館(Museo Arqueologico)
バエサ
バエサの概要
ウベダの隣町であるバエサは、ウベダと同様にイスラム勢力に支配されたが、レコンキスタで、1227年にカスティーリャ王フェルディナンド3世が占領しキリスト教圏にもどった。
ウベダとバエサのルネサンス様式の記念碑的建造物群
カテデラル(Catedral)
ハバルキント宮殿(Palacio de Jabalquinto)
市役所(Ayutamiento)
その他
イベリア半島の地中海沿岸の岩絵
紀元前8000年頃から前3500年頃の洞窟壁画で、カタロニア州、アンダルシア州、ムルシア州、バレンシア州、アラゴン州、カスティーリャ=ラ・マンチャ州の6州727ヶ所に点在し、国際記念物遺跡会議(ICOMOS)において、7地域に区分されている。1998年に世界遺産に登録された。
アンダルシア州においては、次の通り点在する。
北部(The northern zone)
マエストラスゴとエブロ川下流(The Maestrazgo and the Lower Ebro)
クエンカとアルバラシンの山岳地帯(Mountain areas of Cuenca and Albarracin)
フカル川洞窟と近隣山岳地帯(The Jucar river cave and the neighbouring mountain area)
サフォル地方とラ・マリナ地方(The Safor and La Marina regions)
セグラ川盆地と近隣山岳地帯(The Segura river basin and neighbouring mountain areas)
東アンダルシア(Eastern Andalusia)
ハエン県:42ヶ所
アルメリア県:25ヶ所
グラナダ県:2ヶ所
ドニャーナ国立公園
ドニャーナ国立公園はアンダルシア州のウエルバ県、セビリャ県、カディス県にまたがる国立公園で、その敷地面積は54,000haにおよぶ。